友の会通信

中国中原に華ひらいた名窯—耀州窯
耀州窯は、澄んだ緑の釉と深い彫り文様が魅力です。
青磁の始まりは3500年前の殷という時代です。中国陶磁を研究するものにとって一番大切なものが青磁であり、それを理解するというのは大切な仕事です。中国の青磁についてのまとまった本は、小山冨士夫先生が戦時中にお出しになった「支那青磁史稿」という本が一番基本的な文献であって、多分これを越える本というのはなかなかありません。小山先生がお書きになった頃というのは、今日のように中国で考古学的な発掘があまりなく、さらに言えば研究者も少ないという状況でした。もっぱら小山先生は日本にある伝世品、宋代、明代の文献に著われた記述をもとに類推しながら、汝官窯などをこういったものではないかと予測をたてられたのです。小山先生の学風を継承された長谷部楽爾先生が戦後中国に行かれ、またヨーロッパ、アメリカに行って実際作品を見て、小山先生の予測された宋代のやきものについての具体的なありかたを指し示すという作業をされました。新しい時代は正に今回の展覧会に出ていますように、窯跡の資料が全部目の前に出されて、その年代観なり、具体的な特徴がだんだんと分かるようになってきました。耀州窯については、中国では比較的早くその研究が始められ、 1950年代から故宮博物院を中心に窯跡の調査がされて、60年代には報告書が出されています。中国の窯跡で、一番早く具体的に調査された窯のひとつと言っていいかと思います。その後、陝西省の考古学研究所、耀州窯の博物館が中心になって耀州窯の窯跡を発掘しました。

ところで日本人が好きな中国の青磁と言えば、南宋の龍泉窯があげられます。それは古くは鎌倉・室町時代に日本に入り、東山御物となって珍重され、桃山以降は茶道具として唐物の筆頭にあげられていたからです。その中でも砧青磁というのは、色は非常に澄んだ青い色をして釉薬がたっぷりかかっています。その砧青磁を愛する日本人からいたしますと耀州窯というのは、ある意味では正反対の位置にある青磁といっていいでしょう。非常に文様は鋭く、深く切り込んだ文様の部分には釉薬がかかって、その輪郭線がシルエットのように見えるという大変装飾的なやきものです。逆にそういった点が、ヨーロッパで愛され、著名な作品はこちらに多いのです。耀州窯を研究しようとすると、良いものは日本には意外と少なく、ヨーロッパやアメリカの美術館に行かないとありません。実際に中国の故宮に耀州窯のものがどれだけあるのかと考えてみますと、中国の故宮の伝世品の中でも多いのは汝官窯であったり、南宋官窯であったり、それから哥窯であります。そういうものの共通点を探してみますと、だいたい文様がありません。

10世紀から12、3世紀の宋代というのは、中国国内におけるやきものの百花繚乱の時代で、大変な名品が各地で作られました。その中の一つに耀州窯が含まれます。耀州窯の誕生の背景として、越州窯の存在は大変大きいものでした。越州窯は、現在の浙江省の杭州から寧波にいたる地域にありましたが、ここで素晴らしい秘色青磁が作られ、宮廷の御器として珍重され、その噂が中国国内に広がったのではないかと推察します。それがやがて北の方にも伝わり、青磁というものを作ってみようということになったのではないかと思います。そういう観点でみると、確かに耀州窯の青磁というものは、初期は越州窯と大変近いオリーブグリーンのやきものを作り始めるわけです。そのような過程があって、やがて北の方で耀州窯とほぼ同時代に、定州の窯が白磁の名品をたくさん作っています。耀州窯の一番大きな特色である深い彫り、器面を全て花や唐草文様で飾る技法は、実は北の定窯の深い影響を受けながら発達したのではないかと考えるわけです。一方、その本家本元の越州窯はどうかといいますと、やはり彫り文様のある青磁を10世紀、11世紀ぐらいに作っているわけですが、やがて生産は龍泉窯にとってかわられ、そして衰退していくことになります。その装飾技術を習熟した耀州窯は非常に発達していきます。そういう彫り文様をさらに簡便化したスタイルというのが型押しの技法です。ろくろで形を作って、生乾きの段階でその型の中に内側をはりつけて、そして器面に文様を押し付けるという型押し技法が発達したというように考えていいと思います。華北でもう一つ重要な窯として磁州窯があります。そこで非常に装飾的なやきものが作られていました。磁州窯の特徴は、白化粧をかけてから文様を彫り込んで釉薬をかけるという浮き彫り装飾のようなものを最初に始めたことです。その技法が同じように耀州窯にも取り入れられています。展覧会のポスターにもなっております水注の表を飾っています文様が、磁州窯との関わりを考えないでは理解できないやきものです。

このように耀州窯の特徴は何かと考えてみますと、中国各地のやきものの技法というものが耀州窯の中に集約されていると言っていいと思います。いろんな窯の技法を取り入れながら耀州窯というのは発達していきました。耀州窯という名前ですが、小山先生の「支那青磁史稿」や、平凡社の陶器全集などでみますと、臨汝窯、汝窯、東窯などと書いてありまして、耀州窯という名前は出てきません。耀州窯という名前が定着したのはここ20年です。一方、その名前をヨーロッパでどう言いますかというと、Northern Celadonという言い方をしておりまして、そのまま日本語に直訳しますと北方青磁です。現在、この展覧会に出されております耀州窯は、陝西省の銅川市の耀州でありますけれども、実は中国の北の各地でこのタイプのやきものが出てきます。本当に耀州窯なのか、場所が具体的にわからないわけです。ということになると、実はこういうタイプのものが中国の北の各地で焼かれていたと考えるのが一番正確だと思います。また中国陶磁に関心のある方がぜひとも手に取ってみたいというものの一つが、汝官窯です。中国陶磁の最高峰といっていいと思います。日本では大阪市立東洋陶磁美術館の水仙盆があります。5点と日本にはなく、全世界でも64点しかありません。そのほとんどが北京や台北の故宮博物院、イギリスのデイヴィッドコレクションにあります。中国の古い文献などをみると、釉薬にめのうをつぶして使ったというような言葉があり、最後には『近ごろ最も得難きもの』とあります。それがいつ、どこで、どんな窯で焼かれたというのが長く中国の学者も含めて議論があったのですが、つい最近みつかりました。河南省の宝豊県の窯で焼かれたということです。私も何年か前に出土品を見に行ったのですが、そのようなものもあり、そうでないものもあります。その中に今回展示の耀州窯に近いものもあり、鈞窯タイプのものがあったりと様々なものがあります。

この謎の窯といっていい汝官窯の生産をとく鍵は、この耀州窯に存在する可能性が非常に高いのです。耀州窯の中に「官」という字が高台の中に彫り込んであるものがあったり、高台のところに小さな目跡があったりします。それを理解するためには耀州窯の編年というものを確立しなければならないのですが、今回の展示をみますと、一番古いものは唐時代で、唐三彩を焼いていたということがわかってきたわけです。それから唐末五代、北宋、最後は元時代。8世紀〜 14世紀までの600年の耀州窯の時代の中で、一番の黄金時代が北宋時代のもの、その中でも特に重要なのがポスターの水注です。この水注のように彫り文様や釉色が素晴らしい五代の作品を小山冨士夫先生以来、東窯という言い方をします。東窯も実のところよくわからないもので、具体的に文献にもなく、いわゆるこういったものを東窯と呼ぶのではないかという設定が小山先生以来されています。東窯と言うのは日本の研究者が中心で、アメリカの研究者は北方青磁と言ったほうが正しいのではないかという言い方をする人もいます。窯を掘ってみますと、北宋だと思っていたものが五代だとわかったり、時代も狭められてそのタイプができてきたということになるわけです。この東窯も水注が代表的なものですが、数少ないものです。そういう水注は東西にふたつでして、一つはアメリカのクリーヴランド美術館、もう一つはパリのギメ美術館にあります。二つとも手に取って触る機会があったのですが、やきものというのはあまり感情移入してみない方がいいですね。先程の汝官窯にしましても値高いと思ってみるから有難そうにみえますけれども、素直に見るべきです。そのクリーヴランドで一人で20 分、30分見ていますと、なんとなく気というかオーラをだんだんと感じてくるほどのすごさがあります。その彫り文様は、薄皮一枚残して文様を彫り込んだカーヴィングのすごさが、見ているものになんともいえぬ威圧感を感じさせます。そういうものが耀州窯にはあります。定窯を見ていますと、軽やかで白くて美しいのですが、それとは違い青磁ならではの重厚さ、文様にしても青磁だからこその強さが出ています。それが私の体得した東窯、耀州窯の美しさだろうという気がします。それから比べますとギメの方は線が柔らかく、きりっとしたところがある。耀州窯の一番の魅力はこの文様の強さときりっとした彫りの鮮やかさ、そこにつくされるのだろうという気がします。それと同じように先程申しました汝官窯も、変な予備意識を持たずにみますと、本物の持つ力があるのです。なかったら偽物だと思った方がいいと思います。

プロフィール
弓場紀知 氏

1947年奈良県生まれ。九州大学文学部大学院文学研究科考古学専攻修了。
現在、出光美術館学芸課長。
主な著書に、『三彩』(平凡社)、『やきものと触れあう(中国・朝鮮)』(新潮社)など。
日時:平成10年1月10日(土)午後1時半〜3時半
会場:中之島中央公会堂・3階中集会室
講師:出光美術館学芸課長 弓場紀知氏
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