友の会通信

館蔵品の紹介
文化財保護委員会は、わが国に現存する建造物、彫刻、工芸品、古文書などの中から学術的価値の高いもの、美術的に優秀なもの、文化的意義の深いものを選んで重要文化財に、なかでも世界的視野に立って冠絶しているものを国宝にそれぞれ指定している。現在、工芸品の内で、中国と朝鮮陶磁に限定すれば、指定物件は国宝9点、重文94点となっており、国宝と重文の割合はおよそ1対9で、指定物件10点の内1点が国宝ということになる。ここに館蔵品から、国宝、重文の作品各2点を紹介する。

1.油滴天目茶碗(国宝)南宋時代

漆黒の釉面に銀色に輝く斑文が、あたかも水面に油が散っているかのように見えるところから、古来よりこの手の作品を「油滴」と呼び習わしてきた。中国では、これを「滴珠(てきしゅ)」(明初の『格古要論』に記載)と呼んでいる。油滴の発生は器表に鉄分を多く含んだ釉薬を厚くかけているので、焼成中に素地や釉薬から出るガスが抜けきらないで表面に気泡を作り、含有の鉄分がそこに流れ込み、窯が冷える過程で鉄分が油を落したような美しい結晶になるために起こる現象といわれている。但し釉薬が薄い口縁や、見込みの鏡部分と高台際の釉薬の厚いところでは、この現象は見られない。油滴天目茶碗は、日本だけに伝来しているようで、すぐれた遺品はごく少ない。この茶碗は、油滴が内外全面にびっしりと粒をそろえて出ており、とくに内面の茶せんずれ付近では青味を帯びて美しく輝いている。油滴の輝きと姿の美しさから「油滴中の油滴」と称され、昔から第一等に数えられている名品。口縁に純金の覆輪がめぐらされ、荘重さをいや増している。伝来は、関白秀次が所持し、西本願寺、京都六角の三井家、若狭酒井家へと伝わったもの。茶の産地、福建省建窯の産。

2.飛青磁花生(国宝)南宋〜元時代

青磁釉の下に、鉄斑文を飛ばしている青磁を日本では「飛青磁」と呼び、古来よりとくに茶人が珍重してきた。太からず、細からずの下蕪形の胴に、わずかに開いた小さな口、ほどよい大きさの高台を付けた姿は、まことにバランスがとれ美しい曲線を見せている。“玉壺春(ぎょっこしゅん)”形の瓶と呼ばれ、元時代に流行した器形の一つ。釉色は、南宋時代の粉青色をした砧青磁と違って、少し黄味が増す青磁—いわゆる天龍寺手と呼ばれるグループに近いが、その光沢のある艶やかな釉調は、しっとりとした絶妙な味わいを示し、この作品の声価を高からしめている。器表面に散らされた21個の鉄斑文は、その鉄銹色が黄味を帯びた緑地に映えて美しい景色となっている。高台の畳付ぎわに見える赤い帯は、焼成中に露胎部の鉄分が発色したもので、通例に見られる天龍寺手の赭紅色よりも濃く、この瓶に一層の魅力を添えている。流麗端正な形と幽邃な釉色は完璧で、ただただ名品としかいいようがない。大阪鴻池家に伝来したもの。類品は日本(重文)、英国のヴィクトリア・アルバート美術館とスイスのバウアー・コレクションの三点が知られる。浙江省龍泉窯の産。

3.白磁刻花蓮花文洗(重文)北宋時代

宋代の窯場は、唐代と違って全国に散在し百花撩乱の如く各地に名窯が生れた。中でも官窯、哥窯、汝(官)窯、定窯、鈞窯の五大名窯が有名で、これらを称して“官・哥・汝・定・鈞”と言う。定窯は北京から南西約150キロの河北省にあり、釉質が象牙のようにクリームがかっているため“アイボリー・ホワイト” と呼ばれる白磁を焼成した窯として有名。また、この窯は、昭和16年4月に日本の陶磁学者・小山冨士夫氏が窯址を初めて調査し、実体を明らかにした窯として知られている。腰の深いこの鉢は、器壁が薄く手取りは大きさに比して軽い。(高台も薄く低く、重量の軽減が図られている)。文様は器の内外面によどみのない流麗な刻線で、大きくゆったりと蓮花文が見事に表わされているが、1.5〜2ミリしかない器壁を思えば、陶工の技の冴えに驚かされる。また、胴から胴裾にかけて六本の刻線で絞りが入れられているが、それによる歪も器形には全く見られず端正な姿を見せている。この様に洗練された器形は、北宋時代の知識人の嗜好を反映したものであろうが、宋代陶工の技術水準の高さを示すもので、まさに“神品”の名に相応しい作品である。定窯では薄作りを追求する結果、この鉢のように口縁部の釉を拭き取り、伏せて焼く方法(中国では「覆焼」という)がとられた。焼成後、口縁部のザラ付を押さえるために金属製の覆輪(カバー)を被せている。黒くなった銀の覆輪が、冴白色の釉肌と調和し美しいハーモニーを奏でている。

4.青花花鳥文盤(重文)明・永楽時代

白磁の釉下にコバルトで絵付した磁器を青花といい(日本では「染付」と呼ぶ)、元時代の後半(14世紀初)には生産が始められたと思われる。白地の素地にコバルトを顔料(絵具)として文様を描き、その上に透明釉をかけて高火度で焼き上げると、白地に鮮やかな青の文様が浮かびあがる。青花は、明代後半から多く生産され始める五彩(赤・黄・緑等で絵付した磁器。赤絵ともいう)とともに明代の陶磁の主流を占め、江西省景徳鎮窯を中心に焼成された。径が50.5センチの輪花形の大盤。この様な大形器は、元時代に始まり、明前期(洪武〜宣徳)にかけて最高潮に達する。見込には、大小13個の実をつけたビワの枝に、その実をついばむ一羽の尾長鳥が配され、白い素地を背景に生き生きと写実風に美事に仕上げられている。元代の青花の絵付は、全面を幾層かに分け、その間にびっしりと繁縟をいとわず描きつめるというのが特徴であったが、明代になるとこの作品のように余白を残して描写する方向に変化する。このことは遊牧民族と漢民族の嗜好の差異を表わしているようで面白い。従文様として、十六に区割りした側面にそれぞれ、桃・柘榴・苹果(リンゴ)・茘枝等の折枝文を配し、口縁には宝相華唐草文をめぐらしている。果物は、ビワを始めいずれも実の沢山なるもの、沢山の種子を包含する瑞果吉祥文で、尾長鳥も瑞鳥であり、文様すべてが吉祥をあらわす図様となっている。この様な文様構成は、明代の工芸意匠によくみられるもので、子孫繁栄、不老長寿、富貴長命を象徴し、人々の現世での生活の幸福を願う気持ちが込められている。明初期の青花を代表する作品。類器として、当館に1点中国・故宮と天津博物館に各1点の計3点が現在知られている。因に、4点とも同形同図であるが詳細に見ると、幹の根本に近い葉が2か3枚である点が違うだけで、本作品が2枚で、他の作品すべて3枚となっている。

大阪市立東洋陶磁美術館
学芸課
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