友の会通信

柿右衛門の色絵磁器とヨーロッパのコレクション
ヨーロッパの宮廷にあります、柿右衛門と日本の輸出陶磁につきまして、それらがどのようにしてヨーロッパに届き、ヨーロッパの宮廷に入るようになったかをお話しようかと思います。

今回ドイツから参りました作品が、初めてヨーロッパで公開されたのと同じ年の夏に、イギリスの大英博物館で「ヨーロッパの宮廷を飾った日本の磁器」という展覧会が催されました。この二つの展覧会がヨーロッパで同じ時期に開催されたことで、多くの人々の興味を集めました。日本では、江戸時代に日本の磁器が輸出されていたことが知られるようになってから約50年ぐらいたち、成長した日本の経済力を背景に、かつての輸出磁器を日本へ買い戻す動きが盛んな時期が御座いました。1970年代後半から80年代の終わりまでの時期に、日本に帰ってきた伊万里や柿右衛門磁器は相当な数に達していると思います。殊に輸出したものの中から非常に美しいもの、壊れていない物を中心にして日本へ戻ってきております。

こうした日本の磁器が現在まで遺っている理由は、ヨーロッパ諸国の宮廷を始めとする王侯貴族たちの館の中に保存されていたことであり、それ故にきわめて良い状態で伝世してきたと言えます。宮廷に入った理由は、17世紀のヨーロッパで東洋という遠い国に対する憧れと、東洋趣味、シノワズリーとフランスで言う東洋風であるということへの流行がありました。フランスの太陽王ともいわれるルイ14世が、その愛人の一人モンテスパン夫人の為に、ベルサイユ宮殿の庭にトリアノンという小さな亭を建てました。1671年のことで、亭の外壁には東洋の磁器を真似て作らせたデルフト焼のタイルをはりめぐらした、異国情緒のある建物でした。内装にも中国の磁器や日本の蒔絵模様のある漆の板などを使った装飾がなされていたといわれております。この離宮は87年には取り壊され、その理由はタイルの破損が多くなったからとも言われております。いずれにしても17世紀の後半に、フランスで始まった東洋的なものを飾る流行は、シノワズリーといわれる東洋趣味としてやがてヨーロッパ中の王侯貴族の間に流行するきっかけとなりました。当時フランスの宮廷というのは、ヨーロッパ中の宮廷の皇族たちが見習うことを望んだと言われ、食事の作法を学ぶこととか、宮廷の生活の在り方を学んで自分の国に帰り、それを模倣していくことが盛んに行なわれたのが、17世紀の後半でした。

シノワズリーはフランスではあまり発展しないまま言葉だけが残り、オランダで大きく開花し、オランダから英国へ、またドイツへと展開しました。オランダでは17世紀の初頭に東インド会社が創立され、17世紀にもっとも繁栄しまして、1660年代からは日本磁器をヨーロッパへ輸入する貿易を行ないました。
オランダには当時すでに日本や中国の磁器が豊富でしたが、趣味を持ち収集したのは、オレンジ公ウイリアムにイギリスから嫁いだメリー公妃でした。収集した東洋の磁器を楽しむために、室内装飾デザイナーが登場し、部屋の中に磁器を飾る方法が考案されるようになりました。オランダの家には暖炉がありますが、まずその周囲に磁器が飾られ壁に鏡を貼り奥行を見せるなど、いろいろな装飾方法が考え出され、やがて「磁器の間」とか、「鏡の間」と言われる磁器を飾り付けた部屋が成立しました。メリーは1684年メリー二世として英国女王になる為に英国に戻りますが、その時に自分の収集した磁器を全部もって戻って行ったといいます。

メリー二世はハンプトンコート、今でもロンドンの郊外のテムズ川の河畔にある離宮に、磁器の間を設計させ、またケンジントンパークの中にあるケンジントンハウスにも磁器を飾っていたようです。英国では王侯貴族たちも磁器を集めるのに熱心であったようで、今カントリーハウスと呼ばれる大きな館には、数々の中国や日本の磁器が遺っております。
メリー女王のコレクションは女王が突然亡くなってしまうと、妹のアンを女王に迎えるために全部地下室に仕舞われたり、譲られたりして多くは散逸したようです。英王室のコレクションは現在ハンプトンコート宮殿やウインザー城、バッキンガム宮殿に遺るということで、大英博物館で催された展示にも、何点か出品されていました。

今回こちらに来ておりますカッセルのコレクションを始めとするドイツの宮廷の磁器収集とは、オレンジ家の系譜に関係があるようです。オレンジ家のお姫様がドイツの諸公に嫁すことで、磁器を収集することがドイツ各地に広がっていったようです。例えば、オレンジ家のお姫様がベルリンのブランデンブルグ選帝候へお嫁にいらした時、オラニエンブルグ城が造られて、磁器の間も作られ(図1)沢山の磁器を飾ったり、ウイリアム・フレデリックというナッソー公に嫁いだお姫様の為には、コブレンツというライン河沿いの町に、オラニエンシュタイン宮を建て、ここにも磁器の間を作ったことが知られています。
その他にもブランデンブルグ選帝候、今回きておりますヘッセン方伯、ザクセンの選帝候、バイエルン公、マインツの選帝候、アルンシュタットの公爵、シュバルツブルグ・ルドルフシュタットの伯爵、バーデン・マルク伯爵、またザクセンのアルテンブルグ公というようにドイツでは小さな国々の王様が磁器の収集を行なっていました。 その中でオラニエンブルグ城は、磁器室が出来る前から中国のものを相当購入していたようで、すでに1660年代には東洋の磁器で部屋を飾っていた記録があり、1695年には磁器室が完成しています。シャルロッテンブルグ城は1705年に磁器の間を完成し、現在では日本の輸出磁器の年代を決めることができる城として知られます。シャルロッテンブルグ宮殿の天井画には、今美術館の第一室に並んでいる傘を持っている人物の描かれている大きな壺と同じものが、天使達に抱えられている図が描かれていたそうです。それは、1695年に完成したことで知られていますが、天井画は残念なことに第二次世界大戦で焼失してしまいました。

音楽祭で有名なバイロイトの南のボンメルスフェルデンに、バイセンシュタイン城があり、磁器の間を1719年頃に一応完成させています。これは非常に美しい磁器の間でございます。ミュンヘンにあるレジデンツ、ここにも1733年頃に磁器の間が完成しております。その他にはアルテンブルグ、アルンシュタットなど、以前は東ドイツの一番西ドイツ寄りの辺りにあるお城が1734年、1736年にそれぞれ小さな磁器室を完成させております。その他にはハイデックスブルグ城が1735年位迄にお城を完成し磁器室を作り、そしてカッセル城(図2)が1750年代頃からその形を整えていったと言われています。
これらのコレクションが出来上がった時期とか、その内容がはっきりしているものは少なく、そこに磁器の様相を知ることも出来ないのが現状です。しかし、概観して言えることは、一番素晴らしい柿右衛門を始めとする日本陶磁のコレクションがあるのは英国で、次いでドイツのドレスデンや、このカッセル、またミュンヘンのレジデンツなどの質の高い磁器の収集を挙げることが出来ます。

英国王室の収集磁器では柿右衛門手の作品に優れたものが多く、ハンプトンコート様式といわれる秋草文(図3)や、花鳥文の六角壺(図4)などが殊に著名です。王室のほかに、英国ではカントリーハウスとして知られる居館にも、優れた磁器が見られます。バーリーハウスは英国北東の中部にあるエクセター侯爵のお城ですが、ここの磁器は1688年の家財目録に記載されていることで、数少ない貴重な資料でもあります。また相撲を取る男子像(図5)、インドの女王(図6)と記載された柿右衛門の立ち美人像、小犬一対など珍しい作品も多いことでも知られます。日本の輸出磁器の収集というとドレスデンがまず挙げられますが、現在まで遺る作品から見ると、質的にはドレスデンを始めとするドイツの収集品よりも、英国にあるものに魅力を感じます。さらに、英国では 1950年代に日本磁器の収集や展示活動の盛んな時期がありまして、研究活動なども活発に行われました。それが裏目にでたというのは、その頃に明らかにされた日本磁器の多くが、伝来の土地や館を離れ、日本へ買い戻されるようになったからです。それまでは、肖像画や風景画など、絵画から売りにでていた旧い館の家財が、日本の磁器に替わって行きました。丁度その時期が日本人が日本の磁器を買い戻したいという気力と、財力を持った時でしたからと言えます。そして今東洋陶磁美術館に並んでいる、ヨーロッパからきた作品以外の、日本国内のコレクションにある磁器は、その時期に戻ってきたといっても過言ではないと思います。

私どもが江戸時代に輸出された磁器を、居ながらにして観ることができるようになったわけですが、それはまた、ヨーロッパ各地に伝世してきた形態を壊してしまったことにもなります。日本の輸出磁器が、かつてどのように宮殿を飾っていたのかを示せるような姿を留めているところが少なくなってしまいました。現在もそのままの姿を留めているのは、イギリスのバーリーハウス、ドイツのカッセルの城、ドレスデンなど数が限られてしまいました。英国には収集品が散逸したお城が多くあります。それを防ぐために、ナショナルトラストが保護にあたっておりますが、保護に間に合わなかった家々の中から、柿右衛門など日本の磁器や南蛮蒔絵の漆工の作品などが、次々に消えて日本へ戻ってきたのでした。それをなんと言うのかなかなか難しいところですが、研究者やコレクターにとっては有難いことでもあります。
王室のコレクションを非常に質が高いと申しあげましたが、英国にあるものは柿右衛門も中心とした磁器で、それを中心にスライドを御覧に入れながら、もう一度その歴史と、収集品を確認して見たいと存じます。
(今回は西田先生ご自身が要旨をまとめて下さいました。)

プロフィール
西田宏子 氏

17・8世紀の伊万里焼の輸出について調査することで、陶磁史の世界に入りました。
現在では、その時代で地球儀を回るように陶磁史を学んでいます。
根津美術館学芸部長。
日時:平成5年7月10日(土)午後1時半〜3時半
会場:中之島中央公会堂・3階中集会室
講師:(財)根津美術館学芸部長 西田宏子氏
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