『李朝の皿に描かれた絵画』
今回大阪市立東洋陶磁美術館で『李朝の皿』という大変珍しい、おそらく李朝の皿に絞った展覧会は初めてでしょうか、そういう展覧会を開催していただきまして、私も大変勉強させていただいております。李朝の皿の概要につきましては、形、文様、あるいは釉膚などといったような作風の編年を主として、伊藤館長が図録に詳しく解説されております。それで、私はもっぱら皿に描かれた文様に問題をしぼって、お話をさせていただいます。
その文様ですが、大変種類が多く、この図録の中にも、いろいろな文様が広範囲に集められております。しかも葡萄文にしても、山水文について、花鳥草虫文にしても、さすがに良い物だけを選んで展示しております。わたしは、李朝の皿に描かれた文様についてお話し致す訳ですが、演題の『李朝の皿に描かれた絵画』は、正しく言えば絵画文様になると思います。その絵画文様に焦点を当て、幾何学的な文様、あるいは主文様に従属するような副次的な図案的文様などにあまり触れないで、できるだけ絵画的文様を中心にしてお話しすることにいたします。
今回展覧会にでております作品のように、皿に描かれた絵画の文様の中には、専門の画工が描いたかと思われるような繊細で巧みな筆法を見せる作品もありますし、いかにも陶工が描いたような素朴なものもありまして、今日のわれわれの目から見ますと、鑑賞的な絵画作品といえるものもいくつかございます。しかし本来そういった物は、皿という実用的な器に描かれたいわば装飾的な文様でありますから、鑑賞のために描かれた飾り皿、又は額皿といったような、いわば絵画として鑑賞するための陶画的な性格のものではないということを始めに申し添えておきます。李朝のそれはあくまでも実用的な器に描かれた装飾的な文様であるということです。
李朝の皿に描かれた絵画文様につきましては、その顔料の種類に制約がございます。中国や日本などの作品に見られる絵画文様とは違って、御存知のように朝鮮では上絵というものが作られませんでした。したがってその皿に描かれた文様はすべて下絵(釉下彩)という訳です。ですからその下絵は白地にコバルトの青、鉄の黒もしくは茶、それから酸化銅による赤、いわゆる辰砂ですね、そういった3種類の顔料による下絵だけです。それらを単独で用いるか、あるいはコバルトの青と鉄の黒、またはコバルトの青と酸化銅の赤の組み合わせといった二彩のものなどがあります。辰砂の中には赤く発色するはずの銅が酸化して一部が緑に発色しているものもありますが、いずれにしましても、青、黒、赤のいずれかの単色画であるか、あるいは二彩の淡彩画的なものであります。ですから日本の有田などの作品にみるような下絵と上絵のある色絵、染錦手のような華やかな絵画文様をもったものは、李朝にはありません。ですから李朝の皿に描かれた絵画文様は、墨一色で描いた水墨画、又は黒に二・三の淡色を加えた淡彩画の味わいに近いものであると言えましょう。
次に李朝の皿に描かれた絵画文様の担い手、いわゆる作者に視点を移してみましょう。さきほども少しふれましたが絵が非常に巧みで、これは専門画工の手に間違いないと思われるものから、大変素朴で図案的な文様まで、作域がとても広いのですが、その主要な作者に関しては、まず李王朝の絵事を司どった図画署という役所が挙げられます。初期には図画院と呼ばれたようですが、このような日本で言いますと絵所があるわけです。この図画署は宮中の画事全般を司るもので、仕事は宮殿などを飾る装飾的な壁画、あるいは国王や高臣の肖像を制作することです。それから宮中の様々な行事の記録画をかいたり、ときには図画署の画員が江戸時代の朝鮮通信使一行に加わって日本を訪れたりもしています。さらに今でいうファッション・デザイナーのように、国王以下官吏の制服のデザインまで受け持ちます。
この宮中の絵所であります図画署に所属する画員が、文献にも示されているとおり官窯の絵付け作業に加わっていました。今回出品されているような大変出来の良い絵画的文様は、画員の手になるものが多いと推測されるわけです。
この図画署について少々説明させていただきます。李朝時代には国初から図画署が設置されており、この図画署を中心にして多くの名画家が生れました。
図画署は国家の絵事全般を担っていますから、肖像画、記録画、山水画、花鳥画など、絵画各分野に渡って大きな貢献をして李朝絵画史を彩ってきたわけです。
この絵所である図画院はすでに高麗時代には設けられていまして、それを踏襲して李朝時代にも設けられた訳ですが、1463年から1474年の間のいずれかの年に名称が図画署に変り、機構の改造がされております。
図画署は小さな役所で、政府の機関としては最下級の役所といえるかと思います。成宗のときに完成した『経国大典』という重要な法典がありますが、その『経国大典』によりますと、図画署にはいろんな階級の画員がたくさんおりまして、例えば提調が一名、別提が一名であるとか、従六品の善画が一名、従七品の善絵が一名、従九品の絵史が二名、画員が二十名、その他いろいろなデザインをする者などが、特別に二名又は三名とか加えられております。
李朝の役人は東班と西班の2つに分かれています。西班は武人、東班は文人で、それぞれ一品から九品まであります。そして各品には正と従の二階級がありますので、全体としては十八階級に細分されています。図画署の長官は提調といい、この役職はかなり高位な人が兼任します。今で言えば法務大臣に当たる礼曹判書が兼任するのが常例でした。ですから画員が図画署で出世してもせいぜい従六品の別提か善画でした。従六品という位は今で言うと県知事ぐらいの位に当たります。歴代の画員の中には李朝初期の安堅のように正四品という破格の出世をした人もおりますが、これは例外的な稀少な例に過ぎません。
この図画署の画員は試験をして採用するのです。しかし李朝の後期になりますと段々この規則が守られなくなって、士大夫の高位の推薦によって抜擢されたりしています。そして李朝中期ごろから大きな勢力をもった画員の門閥が形成されはじめ、画員職は次第に世襲されるようになりました。このように図画署、またはそこに所属する画員は歴史のなかでいろいろな推移があるわけですが、とにかくそういう宮中の絵所であった図画署の画員が、今回の展覧会に出品されておりますような素晴らしい皿の絵画文様の重要な担い手であるわけです。
この画員を採用する試験、当時は試取と呼んでおりますが、その内容が面白いんです。例えばこの試取の内容によって当時の文人、李朝の人々は絵画というものをどんなふうにみていたか、というようなことが推測出来るわけです。この試験の実技の出題には四つの画題がありまして、この四つの中から二科目を選ぶわけです。その中で一番点数のいい一等科目は竹なんですね。そしてその非常に巧みなものを通といいます。竹の通は五分という点数です。それから普通のもの、これを略というんですが、竹の略は四分です。次の二等科目は山水で、この通が四分、略が三分です。三科目は人物・■(令羽)毛でこの通が三分で略が二分。四等科目は草花で、その通が二分、略が一分という具合です。例えば竹と山水を選んで、竹のほうが通、山水のほうが略であれば、5+3で8点になります。また三等科目と四等科目を選んで、両方とも通であっても5点にしかなりません。山水という画題はどこの国でも一つの主要なモチーフであるというのは分かるんですが、李朝の場合は竹なんですね。この竹というのは御存じのように四君子のなかの一つです。竹は、梅・菊・蘭と並んで、理想的な人間である君子に喩えられている訳です。しかもこの四君子の代表的なものが竹なのです。ですから韓国では古くから、高麗時代の後期ごろから墨竹図が文人・高士の間に流行して、たくさん描かれます。竹を描く場合、最初は客観的な写生に基づくのでしょうが、究極的にはその画家の写意性に大きく関わるモチーフです。いわば描く人がいかに竹というものを解釈して形にするかです。竹は普通、単純な構造を持つものですから、それだけに作者の精神性、あるいは品性などが表われると解釈されている訳です。ですから画に高い品格を問われる高士ならいざ知らず、下級官吏で職工待遇に過ぎない画員に課す出題のなかで竹が一番重要視されたというのは、少々奇異な感じがしないでもありません。図画署の画員というのは前にも言いました様に、大抵は官吏としては最も低い位である従九品に甘んじ、職人扱いの絵描きですから、そういうものに対して精神性、あるいは四書五経を中心とする中国的、儒教的教養などというものは本来は要求しません。とにかく人物画にしても、又は記録画にしても、今の写真のように正確に形や姿を写し取る、いわば客観性だけが要求されるのが常なのですが、そういった職務の画員の試験に、精神的なものを要求される竹を一等科目にしていたということが面白い不思議なことのように思われるのです。
これからスライドをお見せして、この一等、二等、三等、四等の科目にあたる絵画文様をもつ皿の作例としてどのような作品があるのか、それがどのような展開を見せているのか、その絵画文様にはどんな意味が付加されているのかということなどをお話ししようと思います。皿でも壺でも、器物にほどこされている文様は単純な装飾的な意味ばかりではなくて、それぞれみな象徴的な意味が込められています。墓誌などの特殊なものを除いて、大抵の場合は文字であれ、図案であれ、あるいは絵画的な文様であれ、それらは吉祥的なおめでたい意味が込められているのです。吉祥の意味にもいろいろなものがあります。その一番代表的なものは福・禄・寿です。そういったことについてスライドをお見せしながらお話し致します。(この後のスライド解説は省略)
プロフィール
吉田 宏志
1940年札幌市に生まれる。慶応義塾大学文学部哲学科(美学美術史専攻)修了。現在、大和文華館学芸部部長。
著書は、共著『高麗仏画』(朝日新聞社)、共訳『韓国絵画史/安輝濬著』(吉川文館)など。
日時:平成3年10月19日(土)午後1時半〜3時半
会場:中之島中央公会堂 3階中集会室
講師:大和文華館学芸部部長 吉田宏志