友の会通信

李朝陶磁の魅力
李朝陶磁と一口に言っても、幅が広く、さまざまな要素、性格を持っています。その要因は、李朝という時代の長さ(1392〜1910)に尽きるのではないかと思います。
時代ごとに李朝のやきものは、大きな変貌をとげました。時代区分というのは歴史を考える場合大きな問題ですが、李朝陶磁史においても、多くの説があります。代表的な時代区分は、浅川伯教、奥平武彦両氏の説と、第二次世界大戦後の韓国の鄭良謨氏の説の三つです。しかし今日、まだこれが決定的であるという定説はなく、ここでは仮に世紀毎に3つの時期に分けることにします。

15世紀から16世紀にかけての時期には、日本で三島と呼ばれる粉青沙器が全盛し、それがやがて消滅していった時期、同時に白磁が完成し、白磁青花が現われた時期として捉えられます。17世紀という時期は、堅手と呼ばれるやや粗質の白磁と、それをベースにした鉄砂が全盛を見た時期。18世紀から 19世紀にかけては、広州の金沙里や分院里という所に官窯が定着し、大きな規模で安定した生産が行われた時期として捉えられるでしょう。

李朝陶磁の多様性の要因を、時代的な長さということを中心に、もう少し探って見ましょう。 時代的な差は、そのまま陶磁の種類の差に直結しています。すなわち陶器と磁器の差で、粉青沙器と呼ばれる陶器は、16世紀の末ごろにはすでに消滅したようです。一方、磁器は李朝の初めから終りまで一貫して生産が続けられています。その磁器は、広州を中心として焼成されていたため、広州の白磁窯址の変遷をそのまま李朝陶磁史の展開として捉える見方もあります。
時代的な差は、中国陶磁の影響からの脱却という点からも捉えられます。李朝陶磁はその発生の時点から中国陶磁の技術や造型、意匠などに深く関わっていますが、やがてそこから脱却して李朝陶磁独自の技術や様式を確立していきます。それは17世紀という時期に最も強く現われ、そのあと、再び意匠面で中国清朝陶磁の影響が出てきます。
李朝時代の前の高麗時代の陶磁の影響から脱却ということも、一つの観点です。粉青沙器は高麗青磁の李朝時代における再生といってよいものですが、技法的には類似していても、造型・意匠面ではまったく異っています。白化粧という全く新しい装飾が生まれました。また、高麗陶磁の基本的な器形である流麗な瓶子形中心から、安定した壺形中心に変化してきます。或いは文様も、繊細で情緒的な雲鶴文や蒲柳水禽文から、現世的な十長生文や「寿福康寧」などの文字入りのものが多くなってきます。繊細・優美・精緻という高麗的特質から、頑健・素朴・大まかという李朝的特質に変ってくるのです。
李朝陶磁の歴史の中でも、作風の変化を中心に見ますと、精細と疎粗、整斉と歪、平滑と荒けずり、均等とまだら、規則的と不規則的、純と不純というような対立的な性格が、時代とともに交互に現われるようです。仮に弁証法的にこの対立概念を正と反としますと、たとえば磁器の歴史においては、15〜16世紀が正、17世紀が反、18〜19世紀になると合(或いは正)という変遷を示すようです。

多様性の要因の一つとして、地域差が挙げられます。李朝時代、多くの地方窯がありましたが、やがて広州の中央官窯に統合されていきます。地方窯と中央官窯との差というものが、やはり、多様性を形成しています。
さらに多様性を形づくる要素として、陶磁の用途があります。李朝陶磁は、元来、国王に対する貢物を中心とする官需用がリードし、その頂点に御器があるわけです。また祭器の制作も多く行われました。17世紀ごろから次第に民需用が増加し、18世紀後半には民需用の方が質的にすぐれたものが作られるようになり、官需と民需との力関係が変ります。官需、民需、或いは御器、祭器など、用途によって陶磁の造型や質にも変化が見られるのです。
これまでのお話は、李朝陶磁の多様性についてですが、そういう多様性の中にも、李朝陶磁としての共通分母が見つけられるようです。
李朝陶磁について大正年間以降、その特質がいろいろ語られてきました。高裕燮という人は、韓国の美術は個性的な美術、或いは天才が作り上げる美術ではない、と言い、「無技巧の技巧」「無計画の計画」を特徴とすると指摘しました。現在も活躍中の韓国考古学界の第一人者・金元竜氏は、徹底した平凡さこそが李朝陶磁の特色であり、それは言葉を換えて言えば「自然らしさ」であると説いています。英国の学者・ゴンパーツ氏は「形を越えた形」「均整を越えた均整」と説明していますし、李朝陶磁の美を紹介する上での最大の功労者であった柳宗悦氏は、「李朝の器というものは生まれ出たものである。作られたものではない」という有名な言葉を残しました。

新しく李朝陶磁の美の特質を説くことは難しいのですが、敢えて挑戦して見ますと、次のようなことになるでしょう。
李朝陶磁には陶器もあり、磁器もありますが、陶器についてはもちろん、磁器についても陶器的な表現というか味わいが勝っているやきものといえると思います。磁気的なものの特徴を考えると、材質における純度の追求、焼き上がりの硬さへの追求、整ってすきのない形への追求などに現われてきます。
陶器の特徴はそれと逆のことを考えればよいわけで、李朝陶磁の主流を占めた白磁においてすら、磁器的な特質より、むしろ陶器的な特質を生かすようなものが多かった、ということが指摘できるでしょう。
作風という陶工の制作態度や特徴について考えますと、「非完成主義」といった傾向が見られるのではないかと思います。完璧さを狙わない、或いは敢えて完璧なものを避けることに美の理想を見出していた節があるのです。材質においても、精選された純度の高いものは使わない。実際においては使わないのではなくて、供給面からやむなく純度の落ちるものを使わざるを得ないのですが、材質の劣ったものを見事に活かしきる技術が李朝にはあったようです。形についても、どこから見てもすきのない成形をするためには、削りという工程が大事ですが、最後の削りをわざと丁寧にやらない。粗々しいままで残して置く。釉がけもきれいに均等にかけないで、大まかにやってしまう。その結果、釉だまりが方々にできる。そういった所が、実はやきものに自然な味わいというものを与える。それを「非完成主義」という言葉で表わしたいと思うのです。この傾向は17世紀のやきものに典型的に見られるようです。

こうしたことも考えると、李朝陶磁では欠陥というものがマイナス面ではなく、逆にプラス面で評価されるという傾向が見られます。石はぜ、釉はげ、しみ、ゆがみ、へたり、窯変、生やけなど、欠陥があるために、余計に味わいを深めているという風な所が李朝陶磁にある。言葉を換えれば、李朝陶磁ほど、欠陥の多いものが許されるやきものはないと思うのです。例えばきずにしても、中国の青磁や、日本の柿右衛門、鍋島など、完成度の高いやきものでは、きず一本あっても容赦できないが、李朝になるとそれを容認する度量が持てる、何か不思議なところが李朝陶磁にある。それは初めから完璧なものを狙って作られたやきものではないところに起因しているのでしょう。 李朝陶磁の魅力は、こうした意味で、文人画的な要素が非常に強いとも申せましょう。文人画というのは専門家ではない人が描く絵です。専門家が陥りやすい欠点をすべて避けようとした絵です。その欠点なり誤りは、一つは写実に基く、二つは装飾的である、三つは技巧主義に陥るということです。こうした絵を文人画の特徴とすれば、李朝陶磁は文人画的なやきものです。偉大なアマチュアリズムが李朝陶磁を支えている骨太の柱です。もちろん技巧的には専門家。しかし作る心はいつも新鮮で素人的であるという意味のアマチュアリズムです。

李朝陶磁の中には儒教的な背景が強く入っています。少くとも制作する側、それを受容する側に儒教的な雰囲気が濃厚にただよっています。その中から生みだされたやきものの特質を一言で言えば「清貧の美」です。それこそ李朝陶磁をきわめて精神的なものに高めている所以であると私は思います。今回の企画展の副題を「心のやきもの」としたのは、そういう気持が強く働いていたからです。
(この後、スライドを使用して具体的な説明があった。)

プロフィール
伊藤郁太郎 氏

1931年大阪市生まれ。東北大学文学部美学美術史学科卒業。
安宅産業(株)美術品室長を経て、現在大阪市立東洋陶磁美術館館長。
編著『李朝白磁抄選』(創樹社美術出版)、共著『安宅コレクション東洋陶磁名品図録』(日本経済新聞社)ほか。
日時:昭和62年11月7日(土)午後1時半〜3時半
会場:中之島中央公会堂
講師:大阪市立東洋陶磁美術館
館長 伊藤郁太郎
大阪市立東洋陶磁美術館
館長 伊藤郁太郎
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