11 安宅コレクション中国陶磁(元~明時代)
元時代(1271〜1368)は、宋時代にひきつづき各地でさまざまな陶磁器を生産しましたが、景徳鎮窯(けいとくちんよう)は、青花磁器の技術を完成させることによって、中国における陶磁器生産の首座の地位を確立しました。青花(せいか)は白磁の素地にコバルト顔料で文様を描き、その上に透明釉(とうめいゆう)をかけて焼きあげたもので、わが国では染付(そめつけ)と呼んでいます。元時代の青花磁器には、大型の器物に文様をびっしりと描いたものが多く、鮮麗で、力強さに満ちており、中近東などに盛んに輸出されました。また、コバルトの代りに酸化銅を顔料に使った釉裏紅(ゆうりこう)や、それらの顔料を釉に溶かした瑠璃釉(るりゆう)や紅釉(こうゆう)も見られ、枢府銘(すうふめい)をともなった白磁とともに、この時代を特徴づけています。景徳鎮窯以外では、宋時代に引き続き龍泉窯(りゅうせんよう)が活発であり、大量の青磁を生産して海外にも輸出しました。
明時代(1368〜1644)に入ると、景徳鎮に御器厰(ぎょきしょう)が置かれ、青花磁器は洗練さを加えていきました。白磁の素地は精選され、コバルトの発色は冴え、文様は洗練され、流麗きわまりない製品をつくりあげました。なお、宣徳(せんとく)年間(1426~1435)以降、官窯製品には年款銘が入ります。成化(せいか)年間(1465~1487)に至ると、青花磁器の頂点ともいうべき、優美で洗練された珠玉の精品が生み出されました。上絵(うわえ)の技法を取り入れた成化豆彩もあらわれます。明時代の後半、嘉靖(かせい)年間(1522~1566)になると青花は下火となり、代って上絵付の全盛時代を迎えました。五彩(ごさい)や雑彩(ざっさい)、さらに金彩を加えた金襴手(きんらんで)など、豪奢(ごうしゃ)な製品が、官窯、民窯を通じてつくりだされました。万暦(ばんれき)年間(1573~1620)には万暦赤絵を生みだしたが、明の官窯はこの時期に終焉を迎えました。