高麗時代(918~1391)の陶磁を代表するのは、青磁です。その起源については、遅くとも10世紀までに、中国・五代(907~960)越窯青磁の技術が伝わって、発展の基礎が固まったと考えられます。
12世紀前半には最盛期を迎え、翡翠色に輝く翡色(ひしょく)青磁を完成させました。宣和5年(1123)、高麗の都・開城を訪れた中国使節団の一員、徐兢(じょきょう)が著わした『宣和奉使高麗図経(せんなほうしこうらいずきょう)』は、青磁が翡色と呼ばれ、色・艶がことのほか美しく、塗金や銀製の器皿(きべい)より貴ばれていたと伝えています。また、12世紀中ごろには、高麗独自の技法といわれる象嵌(ぞうがん)青磁をつくりだしました。器物の表面に文様を彫った後、そこに白土・赭(あか)土を塗りこめて素焼したのち、青磁釉をかけて焼きあげたものです。青磁釉の下で織りなされる白黒象嵌文様は、鮮麗な味わいを持っています。これら翡色青磁や象嵌青磁の優品は、全羅南道康津、全羅北道扶安などで主に生産されました。12世紀から13世紀にかけて、このほか、鉄絵具で文様を描く鉄絵、白泥で文様を描く白堆(はくつい)、酸化銅の顔料を点じる辰砂彩(しんしゃさい)、青磁の釉下に鉄泥をひく鉄地、三種類の土を混ぜ合わせる練上(ねりあげ)など、さまざまな種類の青磁が生みだされます。また、わずかながら白磁も生産されました。
14世紀の末ごろまで象嵌青磁は大量に生産されましたが、質的には衰退が見られ、やがて朝鮮時代の粉青(ふんせい)に継承されていきました。