友の会通信

美術館の舞台裏(29)
ここ2・3年、アメリカの美術館と折衝することが多く、日米美術館の相違についてさまざまの感慨を抱いて来ています。アメリカの美術館のコレクションの幅の広さや質量の規模、スタッフの充実、教育部門の積極的活動など、多くの点で日本の美術館とは大きな差異があります。

もっとも判りやすい例がスタッフの数で、日本で最大の規模を持つ東京国立博物館が約170名、それに対して建築面積でほぼ同じ規模のフィラデルフィア美術館が約400名、日本のいかなる博物館施設といえどもアメリカの地方美術館にさえスタッフの量的充実ぶりにおいては太刀打ち出来ません。一度、メトロポリタン美術館で閉館直後、警備員が集合しているのを目撃したことがあります。あの広い館内のあちこちから集まった数十人の警備員たちが入り口ホールにいっせいに並んで終業を確認しあっている姿はまさに壮観そのものでした。

アメリカの場合、例えば梱包要員もスタッフの中に含まれています。大きな展覧会ではその解梱、梱包、積荷積下ろし、館内の移動などかなりの作業量になりますが、すべて自館のスタッフだけでこなします。日本ではこれらの作業はすべて美術品専門の運送会社に委託するのが一般的ですから、スタッフとして雇用する必要がありません。

このように職員数の多寡だけでは、仕事の質量を比較することは出来ませんが、アメリカの美術館との折衝を通じて横の連絡が十分でなく、事務的な流れが円滑でないケースもしばしば経験しました。巨大な組織は、それだけ小回りが利かない欠点も持っています。しかし反対に日本のように好むと好まざるとに拘らず、少数精鋭主義を取らざるを得ない態勢にも問題があります。当館を例に取ると、私を含めてわずか4名の学芸員で、年1回の特別展と2〜3回の企画展を開催し、その都度図録を発行し、展覧会の内容が一定水準に達していることを図録によって知るとほとんどのアメリカの美術館関係者は目を丸くして驚きます。しかし間もなく同情ともあわれみともつかぬ視線で私共を見つめることにもなるのです。

ある水準を保つ美術館活動を続けていくためには、古くさい言葉ですが、日本では「滅私奉公」という言葉がいまだに生きています。

1993年6月10日 大阪市立東洋陶磁美術館
館長 伊藤郁太郎
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