友の会通信

美術館の役割
美術館とは何か、これは美術とは何かという本質的な問いと深くつながっているため、容易には答え難い問題です。しかし私どもの美術館が、東洋陶磁という枠づけのなかで、あえて美術館と称しているのは、それなりの理由があるからです。

美術館とは、ひろい意味の「博物館」にふくまれ、美術博物館とでも言うべきものでしょう。「博物館」にはこのほか、歴史博物館や自然博物館などがあり、もっとひろい綜合博物館もあります。ここでは、問題を簡単にするため、「博物館」を美術、歴史、自然の三種に分けて考えてみましょう。歴史や自然博物館を仮に狭義の博物館とすると、博物館と美術館とは、その取り扱う資料の相違によって基本的に異った性格を持っています。博物館の資料とは、それ独自では意味が読みとり難いもの、一定の知識の体系に組み入れられ、説明つきで展示されることによって、はじめて理解し得るものと言えるでしょう。たとえば骨片だけ展示されてもよく判りませんが、北京原人の骨とか恐竜の骨とか解説されていると知的好奇心が刺激され、より深い知的欲求がうながされていきます。しかし、美術館の資料は、たとえばミロのヴィーナスは、何らの説明がなされなくてもそれだけで鑑賞の対象となり得ます。見ることによって美的感動が生じ、感性的経験が蓄積されて、やがて人間性の涵養につながっていくのです。

つまり博物館と美術館とは、教育という観点に立っても異った役割を担っています。博物館は知識の習得、美術館は感性の練磨を目指すものです。美しいものを見て感動する、そういう場を恒久的に、かつ非営利的に提供する施設、それが美術館というものの基本的な性格だろうと思うのです。そのためには、美しいものを美しく見せる展示機能をそなえていなくてはなりません。幸い私どもの美術館には、陶磁をできるだけ理想的な状態で鑑賞して頂く展示設備をそなえています。そこに精選した陶磁を展示しています。およそ芸術の研究や鑑賞には「美的感動」というものが最初にあり、感動することによって知的欲求が生じ、知的学習を重ねることによってさらに深い感動に導かれていくのが常道である、それを信じ願っているのが私どもの美術館の基本的な立場であり、姿勢であるといってよいと思います。

1986年2月15日 大阪市立東洋陶磁美術館
館長 伊藤郁太郎
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